これでも通信制高校のキャンパス責任者です

通信制高校で働きながら、通信制高校の課題や気づきなどをアップしています。時々、自分の趣味の読書やマラソン、筋トレ、事業に関することなども記載しています。

本当は学校に行きたいくない、隠れ不登校の実態を読んで思ったこと

本当は学校に行きたいくない、隠れ不登校の実態
この記事が読売オンラインに掲載されていました
ヤフートピックスでも掲載されていましたので
見た方は多いと思いますが、4ページに渡っていたので
見たけど読んでいないという方が殆どかなと思います

headlines.yahoo.co.jp


隠れ不登校
私たちの学校に通う生徒の55%は不登校を経験しています
今、入学願書の受付期間ですが、成績が殆どついていない方ばかりです
中学校としてもこの生徒は通信制しかないと送り出しているし
本人も同じような学校という仕組みに所属するつもりはないと
意思表示がはっきりしています、自分の考えを持っている方もいます

不登校で成績が付かないから、勉強ができないは誤りで
不登校で成績がつかず、うちでも出席状況は不安定ですが
先日サービス接遇検定準1級に合格してきました
頭を使うフィールドが違うだけで、能力は高い生徒は間違いなくいます
ただ、中学校という学習システムでは、この能力を必要としていないので
力を発揮することもできず、またできない事を強要されるなら
その場から逃げるという選択肢は正しいのだと思います

同じ陸上競技でも、フィールド競技とトラック競技は違います
学校も同じように出来る出来ないはあって当たりまえで
今の先生世代は、できないなら努力して当然と言われていたと思います
私は今年47歳になりますが、できないなら努力すれと言われてきました
素直な性格なので、そうか努力すればいいのかと受入れて
出来るようになった事への達成感で生きてきました
それが成長なんだと無意識のうちに刷り込まれていたのだと思います

でも、今の生徒達を見ているとできないことに努力する事に抵抗を感じています
それはできない事を知られるとSNSで揶揄される
周りからできないと馬鹿になれる、自分の居場所がなくなる
そんな社会環境の中で、折り合いを付けていくには
通う場所の多様化が必要なんだと思います
今日はこの教室じゃなくてもいい、このクラスメイトに会わなくてもいい日がある
クラスという人間関係を強要されるのが当たり前になっています
確かに人間関係や集団生活を身に付けるには必要な時間であると思いますが
人間関係や集団生活は、クラス以外でも教えられるもの
クラスの人間関係に入れないことを否定する必要はありません

同じ科目でも教える先生によって全くその内容や伝わり方が違うように
受ける生徒にあった教えられ方も違います
生徒の多様性ばかりがクローズアップされる記事をよく目にしますが
教える側の多様性に振り回されている事も多いと感じます
うちの社会人2年目の国語の先生は、マニュアル通りにしか伝えることができず
この言葉の意味の含有量、奥行きまで話すことができません
抑揚もなく、淡々と進める授業を見ても、それが教育実習で高く評価されたそうです
言われたことをそつなくこなすのがいい教育のできる先生なのか?
金太郎あめを作る教育では適しているのかもしれませんが
その結果が今回の10人に1人は隠れ不登校という現実ではないでしょうか?

国語はできなくても、パーソナルカラリスト検定1級に挑戦する生徒がいます
色については講師に負けないくらいの知識を持ち始めています
前述の国語の先生なんかより、知識も説明も魅力的です
筆記試験だけで採用される公立の先生、この採用方法を変えないと
いい先生の価値観を変え、学ぶことへの多様化を率先して行っていかなければ
不登校問題に向き合うことは難しいのではないでしょうか?

私たち通信制高校はそれができる場所ですので、
不登校という言葉をなくすモデルケースを作っていく覚悟です

 

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